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慶尚北道浦項を訪れた際、観光案内所のおばさまのすすめで行くことになったのが、この九龍浦日本人家屋通りです。
戦争当時、日本人がこちらの港町に移り住み、
その当時の建物が市の意向によって保存されているのが、この通りです。
最近では日本人もこの場所を訪れる人が多いとのこと。(おばさま談)
地方でこのような場所が残されているところに、まだ行ったことがなかったので、
向かうことに決定しました。
まずアクセスは市外バスターミナル前のバス乗り場(市内)から、
200番バスに乗り、終点で降ります。
大体40~50分くらいかかった気が…。
バス停の反対側の通りに渡り、さらに一本、道を奥に入れば、
そこには日本家屋が広がっています。
街自体は田舎の賑わいある漁港という感じ。
バス通りにはお刺身屋さんや市場が出ていますが、その一本裏の道には
昔の日本家屋が並んでいます。
正直、「日本の家ってどんなだったか?」と、日本人でありながらも
恥ずかしながらいまいち「おー日本の造りだ!」という実感はわきませんでした…。
ただこれは私が不勉強なだけで、当時の歴史を知る方が見れば、
きっともっと違う感想を抱かれるのではと思います。
家の一軒一軒に、昔はどんな家だったかというような解説パネルも掲示してありました。
また、この日本人家屋通りに九龍浦公園もあるのですが、
こちらの公園にも歴史の爪痕が残っています。
入り口のピンク色の階段がありますが、その横に並ぶ石塔には韓国の方の名前が刻まれています。
しかし、これも植民地当時は日本人の名前が刻まれていたそう。
再び独立を果たした際、日本人の名前を削って裏返しにし、新たに韓国の方の名前を刻まれたそうです。
また、公園内にある大きな石碑にも意味があります。
以前は、日本人でこの街に大きな功績を残した方の名前が彫ってあったそうですが、これも独立を機に塗りつぶされたとのことです。
小さな公園ですが、当時、そして今の韓国の方たちの心情に触れられる貴重な公園だと思います。
ちなみに、この公園から港が見渡せ、その景色も格別です。
少し歩くと展示館もあります。(この展示館も日本家屋です)
中には、この街の歴史を語る数々の写真や資料が飾られています。
異国にやってきた日本人、突然異国の人に支配された韓国人、
それぞれの思いや痛み、そこにあった交流を感じ、
すごく考えさせられる場となりました。
この日本家屋を残すことに賛否両論あるようですが、
実際に足を運んだわたしとしては、歴史を再び考えるきっかけとなった、
価値のある場所だったと思います。
浦項をお訪ねの際は、こちらの通りにお立ち寄りになるのも、
歴史を学ぶ上で良い機会になると思います。
バス通りから一本奥に入ると日本人家屋通りです
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九龍浦公園。階段脇の石碑には歴史が残されています
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こちらの石碑も、背景を知って見ると考えさせられるものが…
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公園からは港が一望できます
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地図
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建物の入り口にはこのように当時の写真等も飾られています
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展示館
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