起きた事実は、どれくらいの時間が経てば過去になって、どれくらいの時間が流れれば歴史になるのでしょうか。
平昌(ピョンチャン)オリンピックを目前にオリンピックネタで韓国の若者と会話していると、ソウルオリンピックを知らない世代が続々。「教科書で見ました」と言うから、驚きです。
そのソウルオリンピックが開催された1988年から遡ることわずか8年、
1980年は皆さんにとって、どれくらいの距離感ですか?
私には懐かしい記憶の残る時代で、どこで何をしていたのか、おぼろげながら話すこともできます。
ハン・ガンの「少年が来た」は1980年5月の光州(クァンジュ)を舞台にした小説です。
自分の記憶がある同時代にこんなことが起きていたのか?
あまりの衝撃に読中もしばしば、読後も胸を衝かれて動けませんでした。
韓国で暮らす身としては 光州事件を知らないわけではありませんでした。
しかし、ニュース記事のヘッドラインのように「民主化を訴える市民に軍が武力で鎮圧。犠牲者多数」、
と表面をなぞるようにしかわかっていませんでした。
「少年が来た」は軍が市民に発砲し、多くの犠牲者が出たため遺体を収容することになった公民館から物語が始まります。
「少年」はまだ中学生ですが友人とデモに参加し、その友人とはぐれてしまったために、友人を探すために公民館にやってきます。
そこで、人手が足りないので遺体の確認と管理を頼まれて手伝うことになります。
凄惨な遺体を前に、「少年」は目を逸らすことなく黙々と手伝いを進めます。
遺体を遺族に引き渡す際に太極旗で棺を包むのですが「少年」は尋ねます。
「国に殺されたのに、どうして 太極旗でくるむの?」
その問いにどうにか理由をつけて答えるのは、共に遺体の収容に奔走する大学生や女工などの20歳にもならない若者たち。
その後、軍が市民を制圧しようと市内に突入することとなり…。
武器も持たない少年が無残にも殺されたこと。
市民の遺体が遺族に引き渡されずに、そのまま軍に焼かれてしまったこと。
武器を使わなかった大学生が連行され、拷問され、その後の人生が狂わされたこと。
普通の市民が、普通の若者が巻き込まれて、そう「巻き込まれて」いくのです。
強い意志があったわけでも、政治思想が色濃くあったわけでもなく、
平凡に、むしろ苦労して暮らしていた人々が「巻き込まれて」いく様が描かれています。
暴力の恐ろしさと残忍さを示すエピソードも多く登場するのですが、表現上の生々しさは薄くて、
フィルム映画を見ているような、ちょっとぎこちない感覚にさせられるのですが、
むしろ、それが残虐さから目を逸らすことができず、記憶に刻み込まれるようになっています。
歴史というにはまだ新しく、少し遠くなりつつある過去の出来事。
でも「少年」を失くした母親には、その出来事は30年経っても過去にはなりえませんでした。
深い深い悲しみに覆われて、どうしてよいのか分からないほど辛くなりますが、
1980年5月光州で何が起きたのか、見つめなおしたいと思います。
BOOK DATA
タイトル: 少年が来た(소년이 온다)
著者: 한강
出版年:2014
価格:12,000원
ISBN: 9788936434120|
韓国語上級以上。一話ずつ登場人物がつながっていき、最後に現代に視線が戻ってくる構成は、歴史を扱いながらも小説ならでは。作者の思いやメッセージが伝わってくる感じでした。章ごとにキーワードやアイテムが象徴的に出てきますが、中でも数年前に流行ったモナミルックのボールペンモナミ。
もう普通には見れません…(ネタばれするので言いません)。
編集部:ソラミミ