ハングル酔いを体験したことがありますか?私はあります。
ハングル酔いを例えるなら、止まっているエスカレータを歩いて上るときの違和感とでも言いましょうか。動いているはずのものが動いていないことを瞬間受け入れられず足元がふらつくような気分。
「韓国は日本と何だか似ているな」と街を眺めながら、実際に足を踏み出して見ると、自分がどこにいるのかわからなくなるような、意識が遠のく気分。
ハングル酔いというのは言葉を知らないという単純な理由から起きるのではないように思います。意識と視覚、感覚のズレから起きるもの??
なぜならイスラム圏に行ってもアラビア文字酔いにはかからなかったので。
この丸や三角や四角が踊っている記号が文字であるとわかるようになるまで、私は結構手こずった記憶があります。表音記号であるだけに手がかりがつかめないと言いますか、読めるようになっても意味がわからないので、手に入る情報は相変わらず少ないまま。ハングルの洪水から逃れて、ようやく一息つけるようになるには長い時間がかかりました。
表音文字として知られるハングルですが「ハングルの象形性」に注目しているのが書道家でありカリグラファーであるカン・ビョンイン氏。
ハングルの母音の原理は天(○)、人(|)、地(―)で表現されているので、ハングルには「音」だけでなく、自然万物の「意味」も含まれていると見ることができるのだ、と。
「文字がひとつ咲いた」ではそんな視点で数々の言葉を解説した短いエッセイと、その思いを込めた作品の数々が紹介されています。
一部を紹介しますと「봄」(春、発音はポム)という文字は「ㅂ」が花の蕾がついているようで「ㅗ」が茎がすくっと伸びている様子で「ㅁ」がそれを支えている植木鉢もしくは土のようだ、と。
こじつけじゃないかと言われる方もいらっしゃるかと思いますが、言われたとおりにハングルのひとつひとつをじっと見ていると、いろいろな風景が浮かび上がってきます。
象形文字はそもそも古の人たちが「アレの形はコレにしない?」なんて言いながら作ったものではないかと想像できますので、新しく作られたハングルであればこそ、そんな意味も込められていたとしても不思議ではないのかもしれません。
著者は書道家(韓国語では書芸家)を志したときから、漢字の書体に比べ、ハングルの書体は表現が定型的であると感じ、もっと表現の可能性があるはずだと考えたそうです。そのためカリグラフィーにも活動の幅を広げ、産業デザインにも数多く参加。真露焼酎のチャミスルをはじめ、ドラマや映画のタイトルなど、お馴染みの作品が多い方です。
なので、ハングルの象形性についての学究的な評価と真偽のほどはよくわかりませんが、ハングルの美しさを表現したい!という著者の愛が感じられるので、パラパラとめくって楽しい一冊です。製本は糸かがり綴じで、作品が見やすいのもうれしいところ。
記号の規則の暗記ではなく、ハングルから見える風景がのぞけるようになったら、誤字ももう少し減るでしょうか…。ハングル酔いをしていた当時に出会ってみたかったです。
BOOK DATA
タイトル:文字がひとつ咲いた(글씨 하나 피었네)
著者:강병인
出版年:2016
価格:25,000원
ISBN:9791195903009
ハングル好きの方、韓国語を勉強中のお友だちや自分自身へのプレゼントにぴったり。作品だけを眺めていても楽しめます。韓国語初級以上。短いエッセイは辞書を使えば比較的楽に読めます。中級以上の方は著者や推薦の言葉もあわせて読んでみてください。
編集部:ソラミミ