ブックレビュー「菜食主義者」

2016年5月17日、韓国はおめでたいニュースに沸きました。世界三大文学賞のひとつであるマン・ブッカー賞国際部門を韓国の小説「菜食主義者」が受賞したのです。世界的な文学賞を韓国の小説が受賞したのは初めて。
受賞のニュースとともに、書店には著者韓江(ハンガン)の特集コーナーが開設され、受賞作は増刷が相次ぎ、ベストセラーになっています。1ヶ月を過ぎた現在も6週連続1位(2016年7月1日時点)となり、人気が衰えることはありません。

この小説がおもしろいからベストセラーになっているというよりは「世界的な文学賞を受賞した作品とはどんなもんじゃい？」という反応ではないかと思います。私も勿論、このニュースを知るまでは文学界では大変有名らしい韓江氏を知りませんでしたし、欲望、暴力、死などをテーマにしている著者の作品は、普段だったら二の足を踏むジャンルです。そんな訳で、私も韓国のお祭りムードに乗っかって、ベストセラーを読んでみました。

参考ニュース
・(受賞後)韓江氏の小説『菜食主義者』注文２５万部 
・小説家韓江、韓国人初のマン・ブッカー賞受賞
・(受賞前)「歴史と人間の本質を扱った小説」韓国の小説家・韓江

この作品は表題の「菜食主義者」に続き、｢蒙古斑」「木の火花」の三部作で構成されています。主人公の女性は夢を見たことをきっかけに菜食主義者となり、自分が木になっていくと信じて、人間として生きることを放棄するのですが、その過程が彼女の夫、彼女の義理の兄、彼女の姉を通して描かれます。

主人公が一切何も語らないという手法は小説にあるパターンではありますが、そこから彼女の何かが浮き彫りにはならず、どうして菜食主義者になったのか、どうして木になると思ったのか、全然わかりません。三人の語り手が彼女の言動に当惑し、茫然とするのに読み手も従っていくしかなく、すこぶる読後感がさっぱりしません。

しかし、主人公の狂気が進んでいくにつれて、彼女を取り巻く人たちの日常世界がひとつひとつ剥がされていく感じが現実味を帯びていて、ひとつが崩れ始めると、とめどなく崩れていく日常の不安定さ、狂気が薄皮一枚で私たちの内部に潜んでいることにゾクッとさせられます。

平凡だった妻に価値を感じていた夫は逸脱した妻が無用となり、義理の兄は平凡だった義理の妹が逸脱したことによって抑えていた欲望を発露させ、姉は両親も兄弟も放棄した妹をたった一人、責任感で看る重荷に耐え切れずにいる…。人間関係は条件の交換なのではないかと、相手を満足させる条件を満たせない場合に起きる悲劇とエゴが率直に描かれている気がします。

この小説、淡々としているように見えて、話の展開ぶりに驚かされ、ちょっとエグいし、これってホラーかも？という怖さもあり、あちらこちらに引きずり回される気分です。ただ植物と関連しているからなのか、陽の光と雨の描写が美しく、それが理解し難い状況を幻想的に包んでいるようで、独特の世界観があります。

最後に、マン・ブッカー賞国際部門を著者と共に受賞したイギリス人の翻訳者デボラ・スミス氏は韓国語の勉強を始めて3年目に「菜食主義者」を翻訳し、現在韓国語学習歴6年目とのこと。韓国文学に「ハマッた」ことが翻訳に向かわせる原動力だそうですが、おみそれしました。語学は年月ではなくて、愛なのですね。

BOOK　DATA

タイトル： 菜食主義者 (채식주의자)

著者：한강

出版年：2007 

価格：12,000원 

ISBN：9788936433598

韓国語上級以上。ストーリーを追うというよりも思考する作品なので、根気がある方は辞書を引きつつ、噛み締めながら読むのがよろしいかと。難しいので普通は読まないジャンルを流行りにつられて挑戦してみましたが、本当に難しかったです。韓国語は美しい、韓国語は難しい…。今回は世界観だけ味わってみたので、改めて読み直したいと思います。日本語でも出版されています。

編集部：ソラミミ