我輩はコネスト特別捜査官Yoメン。
普段はブラインド越しにソウルの街を観察しているが、ひとたび事件が起きたり、気になることがあれば、どんな難題だろうが即座に現場に赴いて解決する。そんな我輩のことを人々はYoメンと呼ぶ。
3月、久々に浦項(ポハン)へ行って来た。この編集部日記で浦項を取り上げるのは2度目になるが、今回は、浦項市の東部に位置する九龍浦(クリョンポ)(地図)へ行ってきた。酒飲みの方には、冬の珍味クァメギ(サンマの生干し)の産地として有名な漁港だが、かつて日本人が暮らし、今もその当時の建物が保存・整備されていることでも知られている場所だ。
市内中心部へは、107番・500番バス |
九龍浦へは210番バス |
昨年の3月にKTX浦項駅がオープンして、ちょうど1年。相変わらず駅周辺には何もないが、徐々に周辺の開発が進んでいるような気がする。旅行者にとって一番大事なのが交通の便で「駅に降りたけど、その後どうすれば良いの?」というのが良くあるお国柄だが、浦項駅は比較的しっかりしている。日本語や英語の表記はないものの、韓国語がある程度できるレベルなら、駅前のバス停留所からバスを利用していただきたし。市内の繁華街や竹島市場(チュットシジャン)へは、107番・500番バスへ乗ればよく、我輩が今から行こうとしている九龍浦(クリョンポ)へ直通で行ける210番バスもKTX浦項駅から出ていた。
近代文化歴史通りと書かれた門 |
九龍浦近代歴史館・入口 |
100年の歴史を見られる休憩スペース |
かつての家屋を改造した飲食店 |
路地の両隣に平屋が整備されている。 |
昔の赤い郵便ポストもあった。 |
九龍浦港。今から約100年前、1900~10年ごろに香川や岡山など瀬戸内海の漁師たちがここ九龍浦港に移住してきて、裏山に神社を築き、小学校や旅館・商店、食堂に料亭まで建てられ、たいそう賑わっていた、と伝えられている。戦後に日本人が引き上げた後も建物は残り、さすがに現代に入ると老朽化が進み、2009年に浦項市が修復し観光地化をして今に至る、とのこと。
日本家屋は韓国各地に点在しているが、市が整備して観光地化しているのは、ここ浦項と
群山(グンサン)の2箇所くらいかな、と思う。両市とも修復していただいてありがたいなと感謝しつつも、韓国の場合、修復は常々「真新しく」してしまう傾向があり、修復後には「古めかしさ」が感じられなくなってしまっているのが、何とも残念に思うのは欲張りというものであろうか(我輩が2007年に訪問したときは、老朽化が進んでいたものの、古めかしさが残っていて味わいがあったのだが・・・)。
かつて神社があった場所に残る階段 |
現在は朝鮮戦争の忠魂地となっている。 |
今もなお残る狛犬 |
神社跡の礎石 |
展望台を発見 |
展望台から眺める九龍浦港 |
かつて九龍浦神社があった丘へと上ってみることにした。階段の両側の石柱が残っているのが何とも感慨深い。階段の上は現在、朝鮮戦争で浦項も激戦区となった際の犠牲者のための忠魂地になっているのだが、所々に神社の名残が残っていたのが印象的であった。丘の上から見下ろす、九龍浦漁港の街並み・・・かつてここに暮らした日本人たちも同じ景色を見ていたのであろうか?と、感慨深い気持ちになりながら、九龍浦を後にした。
市内中心部の竹島市場 |
刺身・ムルフェ・鯨肉がおすすめ。 |
虎尾串(ホミゴッ)観光もオススメ |
虎尾串名物のオブジェ。 |
浦項に来たついでに、市内最大の水産物市場・竹島市場(
地図)や、韓国最東端の地と主張し、初日の出の名所としても知られる虎尾串(ホミゴッ)(
地図)にも足を運んでみた。旅程に余裕があれば、是非あわせて訪問していただきたし。
ありとあらゆる地方都市を訪問しながら、現地の観光名所・名物料理を紹介する特別任務。韓国の地方各地の情報が日本で広まるその日まで、Yoメンが休むことはない。