我輩はコネスト特別捜査官Yoメン。
普段はブラインド越しにソウルの街を観察しているが、ひとたび事件が起きたり、気になることがあれば、どんな難題だろうが即座に現場に赴いて解決する。そんな我輩のことを人々はYoメンと呼ぶ。
今回は忠清南道(チュンチョンナムド)の公州(コンジュ)と扶余(プヨ)に行ってきた。・・・という地名を聞いて勘が鋭い方はもうお分かりであろうが、そこは韓国の三国時代(高句麗・百済・新羅)のひとつ、百済(くだら・ペッチェ)の都になった土地だ。日本では飛鳥時代の聖徳太子の時代に百済から仏教が伝わってきた、ということで百済の名前を耳にした事があるやもしれぬが、約700年の百済の歴史の中で大半はソウルを都とし、その後、公州に遷都して50年程、さらに扶余に遷都して120年を経て、660年に唐と新羅の連合軍によって滅亡したという土地に、百済の都の香りを感じてきた。
ツツジが美しかった4月の公山城 |
武寧王陵の展示館入口 |
ソウルの高速バスターミナルから公州のバスターミナル(地図)まではたったの2時間。バスは途中、サービスエリアに立ち寄ることなく、軽く一眠りしたらあっという間に到着した。まず向かったのは公山城(コンサンソン)(地図)。外敵から守る役割を果たした山城というだけあって敷地内はアップダウンが激しいので、歩きやすい靴でハイキング感覚で訪れて欲しい。続いて向かったのは、百済の名君の一人と伝えられる武寧王(ムリョンワン)のお墓がある武寧王陵(ムリョンワンヌン)(地図)だ。本物のお墓の中には入れないが、すぐ隣に模型展示館があり、そこで王の墓の内部の様子をうかがい知れるようになっている。
宮南池の美しい湖面にたたずむ楼閣 |
唐の武将の功績が刻まれた定林寺址 |
百済時代の全てを再現したという百済文化団地 |
韓屋スタイルのロッテアウトレット扶余店も |
公州のバスターミナルから扶余のバスターミナル(地図)まではわずか約45分。扶余はバスターミナル周辺に主だった観光名所が集中しており、足腰に問題がなければ徒歩でもだいたい回れるので、徒歩観光には程よいサイズの街だ。
バスターミナルから南へ10分ほど歩けば、王宮の庭園として作られた宮南池(クンナムジ)(地図)がある。春は蓮の花は咲いていなかったが、夏になれば敷地内の池、一面に蓮の花が咲く見事な公園だ。また、バスターミナルから東へ5分ほど歩くと、定林寺址(チョンニムサジ)(地図)というお寺の址がある。敷地内には博物館の他に石仏と石塔が残っており、石塔には百済を滅亡させた唐の将軍が自身の功績を残そうと、この石塔に漢字で「大唐平百済国碑銘」と刻んだのが今でも確認できるので、石塔に彫られた文字をよく観察してみてほしい。
扶蘇山城(プソサンソン)(地図)は今回はパスし、その後タクシーを拾って向かった先が百済文化団地(ペッチェムナダンジ)(地図)だ。ロッテリゾート(地図)やロッテアウトレット(地図)と一緒に新しく開発された一帯で、かつての百済の王宮を復元した広大な歴史テーマパークだ。とにかく広大で一回りするだけでもなかなかの空間で、すべてが「再現」された新しい建物なため古さや奥ゆかしさを感じることは難しいが、高さ38mある五重塔は日本のお寺の雰囲気に通じるものがあり、百済と日本の関連性にふと思いを馳せてみた。
蓮葉飯で有名な百済の家(ペッチェエチッ) |
テーブルいっぱいのおかずに一行は大満足 |
最後に今回、食べた食事の中で一番よかったお店を1つ紹介しておこう。扶余の名物料理といえば蓮葉飯(ヨニッパッ)だ。これは宮南池で蓮の花が大量に取れることに由来するのだが、扶余の中心部に位置する百済の家(ペッチェエチッ)(地図)のコース料理は、野菜もたっぷり、おかずもたっぷり、そして蓮の花の香りがかすかにかおるご飯を食べながら、幸せな一時であった。なお、扶余で蓮葉飯といえばこの百済の家と、宮南池近くの百済香(ペッチェヒャン)(地図)の2店舗が特に有名なので、是非訪れていただきたし。扶余からソウルの南部バスターミナルまでは3時間弱。バスの中でもぐっすり寝て、目覚めたらソウル到着直前であったのだった。
(なお、ツアーで気軽に公州・扶余へ行きたいという方は「
扶余・公州へ!百済の香りツアー」をご参考いただきたく。)
ありとあらゆる地方都市を訪問しながら、現地の観光名所・名物料理を紹介する特別任務。韓国の地方各地の情報が日本で広まるその日まで、Yoメンが休むことはない。