日本にいた頃、小林旭が好きだった。「美空ひばりの元夫」「マイトガイ」「渡り鳥シリーズ」などなど、様々なキーワードで、この小林旭という名歌手であり、名優をご存知の方もいるだろうが、私の「小林旭初体験」は、「ダイナマイトが百五十屯」という、タイトルだけでその楽曲のダイナミズムをうかがえるであろう名曲を偶然ラジオで聴いた時だった。
その後、膨大な量のある小林旭の作品の中から、代表的な曲を中心にして聴いてみたのだが、「昔の名前で出ています」のような、世の中の酸いも甘いも噛み分けた大人の方々が嗜んで聞いていらっしゃる演歌チックな曲よりも、「自動車ショー歌」や「恋の山手線」のような、聞いたあとに爽快感以外に見事に何も残らない言葉遊びのような歌詞と、能天気な昭和歌謡的な楽曲が、私の自分でもよくわからない琴線に触れた。
あれからウン年。韓国で生活をしながら、時たま大好きな小林旭を聞くたびに、漠然とだが、私の脳裏をかすめるのは次のような思いだった。
「韓国にも小林旭みたいなコミック歌謡があるんでないかなあ…」
漠然としたものである分だけ、これといって調べる手立てのないこうした推測は、日々の生活のなかで、自分の中での優先順位を下位に付けられ、当然のことながら思ったはしから自分でも忘れて行き、またしばらくたってから小林旭を聞くことで思い出してはまた忘れる…ということを繰り返していた。
そんな「韓国の小林旭」が私の中での無意識と意識を行ったり来たりしていた先日。
ふとしたことから、韓国人の友人からの紹介を受け、「韓国の小林旭」(だと私が勝手に思う)一曲に出会ってしまった。
歌手の名はマンソギ、曲名は「洞打令(ドンタリョン)」。「打令」とは朝鮮王朝時代に庶民が歌ったパンソリや雑歌などを総称した言葉で、その曲調は主にゆったりとしたリズムのものがほとんどだというが、この「洞打令」は違う。
アップテンポでペラペラのキーボードのリズムボックスが奏でるリズムに、これまたペナペナの薄っぺらい音色のキーボードが鳴り、
反復する。要は「ポンチャック」と呼ばれる韓国オリジナルの音楽ジャンルである。(ポンチャックの詳細はこちら)
こうした斬新な新解釈の「打令(タリョン)」にのって歌われる歌詞は、曲名の通り「洞」。
観光客の方々もなじみの深い、「明洞(ミョンドン)」や「仁寺洞(インサドン)」の「洞」であるが、この「洞」は韓国の行政区画の一つであり、日本の「区」に相当し、そのほとんどに漢字が存在する。
歌詞の内容はソウルに数多く存在するこの「洞」を歌手のマンソギが、ひたすらダジャレで解説をしていくだけという、まさに小林旭の「
恋の山手線」のようであるが、これが実にくだら…いや見事に聞いた後に何も残らない爽快な歌詞なのである。
韓国語の上に、かつ駄洒落であるので、ここでの歌詞の紹介・解説は野暮になってしまうためあえて避けるが、意外や意外、アップテンポのリズムに乗ってダジャレで歌われるソウルの洞紹介は、私が「恋の山手線」を聞いて山手線の駅一周を自然に覚えたように、
楽しみながらソウルの洞名と韓国語を知らず知らずに覚えることの出来る暗記法として役に立っている(のか?)。
この「洞打令」の秀でた言語感覚(=ダジャレ)と、アッパーなポンチャックのメロディにすっかりノックアウトされた私は、マンソギ先生の楽曲、それからマンソギ先生について調べてみた。
マンソギ先生のその他の楽曲には、「おなら打令」という曲もあった。歌詞の内容は推して知るべきである…。
マンソギ先生は「~打令」という曲名を持つ、一連の「打令シリーズ」をリリースし続け、現在は「打令の帝王」とも呼ばれているそうである。
ただ、それ以外の先生の情報やプロフィールはこれといってめぼしいものを知ることができなかった。
やはりポンチャックに対する若者たちの不人気故に情報が乏しいのだろうか…。
少女時代やBIGBANGなどの、押しも押されぬスター歌手たちのヒット曲ももちろん良いが、こうした古き良き時代を彩った(?)歌手の歌うへんてこりんな歌が心の琴線に触れた時、これも一つの「私にとってのK-POP」になるのである。
編集部:tjbang