ついに日中も零下にまで気温が落ち込んだソウル。「寒い」から「痛い(顔まわりとか寒すぎて)」に感覚が変わり、冬の手ごわさをようやく思い出したところ。
かろうじて過ごしやすかった先週末。ソウルで、ある場所が扉を閉めたと聞いて、そこを訪れてみた。韓国でよく見る連立住宅の一角に、古びた看板がかかっている。看板には漢字で「芙蓉会」の文字。
そこは、「日本人妻」と呼ばれる、韓国に住む日本人女性の集まりが開かれていた場所だ。さらに限定すると、日本の支配期に韓国男性と結ばれ、1945年の光復(クァンブッ)後、韓国に住むようになった女の人たちの会である。「芙蓉会」は、まだ日本と韓国に国交がなかった60年代、彼女たちが国籍や生活上の問題を抱えながら暮らす中で作られた、同じ境遇をもつ人同士の助け合いと親睦の会。かつて韓国全土に10以上の支部を抱えていた会の本部事務所があり、定期例会の会場となっていたのが、その連立住宅の一角だったのだ。
様々な背景と思いをもち、何十年もそこに集ってきた女性たちも、80歳を超えるおばあさんになった。現在も会の活動は終わったわけではないが、1人、2人と例会に集まる人が減り、場所の維持も大変になってきた中で、ついに事務所を閉めることになったという。
qingは縁あって、何度か会を訪ねたことがある。日韓の歴史の狭間を生きたといわれるけれど、おばあさんたちは特別に「日本らしい」なにかをしていたわけではない。韓国語の中に時折日本語の混じるチャンポンで、近況を語り合ったり、ご飯を一緒に食べたり。それでも参加者には「その場を共有すること」自体になにか意味があるように思えた。
社会の制度とか政治、歴史、記憶…普通に生活する中ではなかなか気づかないけれど、1人の人生はそういうものと確実に絡み合っている(qing自身も韓国で生活するようになってから、なおさらそれを感じる機会が増えた)。おばあさんたちの姿や時折聞かせてくれた話を通して、そういったことを思うようになった。また教科書ではとっつきにくかった日韓の歴史に、少しだけ関心をもつきっかけにもなった。
事務所も看板はまだ下ろしていない。でも不在郵便がいくつも貼られた扉を見ていると、ソウルの隅で、なんだかすごく重みのある時間が、ひっそりと消えていくような気分になった。