※本文とタイトル、写真はあんまり関係がありません。
先週、約1年ぶりに日本へ帰りました。私が不在の間、実家に届いた私宛の手紙を、母親がとって置いてくれました。懐かしいもんで、高校・大学時代の同級生や後輩たちからの年賀状も多数。しかし、どうして子どもが産まれると、年賀状に決まって子どもの写真を載せるんでしょうか?正直、まったくうれしくありません。皆さんそう思いませんか?
まあまあ、落ち着いて。本日の話題は年賀状、ではありませんから。
そういった懐かしいけど有りがたくない年賀状たちの中に混じっていたのが、我が恩人(と勝手に思い込んでいる)のYさんからの便りでした。
話せば長くなるので敢えて書きませんが、私が今韓国にいるのはYさんとの出会いがあったからと言っても過言ではないのです。いえ、ひとえにYさんとの出会いがあってこそなのです。
残念ながら(?)Yさんは女性です。現在は50代後半、韓国生まれの韓国育ちで、日本在住です。Yさんという人は本当に興味深い人で、私は彼女から多くの刺激を受け、彼女を通して「韓国ってどんなところだろう?」と思い始めたのでした。
そしてYさんの国、韓国へ初めて渡ったのが2002年、今から5年ほど前のことになります。私の初韓国は釜山でした。だから「釜山港へ帰れ」なわけです。
Yさんは世界のいろんな国をリュックひとつで旅している、パワフルな人です。日本に住所はありますが、いったい今ごろどこを旅しているのやら。うちの父親と同じ年齢だとはとても思えません。
そんなYさんからの手紙。日付は2006年末となっていました。私が韓国に来てからYさんに一度も手紙を書いたことがないので、「まだ韓国にいるのでしょうか?それとも日本?」という書き出し。2006年を振り返り、そしてまた旅に出ようと思っている旨が記されていました。
読みながら私は胸が熱くなっていました。韓国へ留学する直前、私はYさん宛に手紙を書きました。「私はついに韓国に行きます。住んでみてこそ分かる韓国の姿を、自分の目で見て感じたいのです。」-たしかこんな内容だったと思います。ちょっと肩に力が入りすぎて、今思えば恥ずかしいんですけどね。そして私は旅立ちました。
いつか胸を張ってYさんに報告できる日が来たら、韓国語で手紙を書こう-そう思いつつ、気づけば2年以上が過ぎました。果たして私が感じた韓国って?言葉にするのは難しいのですが、今こそ手紙を書いてみようと思います。
一瞬の出会いが人生を変えることがある。たったひと言で人生観が変わることがある。遠きアフリカ大陸をリュックひとつで旅するYさんの姿に思いを馳せながら、改めて自分を見つめ直したりするのでした。
編集部:記者K