旧正月に、はじめて全羅北道の田舎に行ってきた。ソウルからバスで4時間、絵に描いたようなシゴル(田舎)だった。古い韓国家屋の他には何もなく、ただ新鮮な空気と畑が広がっていて、まさに想像どおりの「故郷」だった。
そして、遠い親戚と感動の対面…なんだけど、しかし、それは束の間に終わってしまった。というのも、簡単に挨拶だけすると、女たちはあわただしく台所へ、チャレサン(祭祀のための料理)の準備に戻っていくのだった。いっぽう、男はオンドル部屋でごろり、テレビ観賞。
その時、ハッと身が固くなった。そう・・・ここは田舎だから、まだアレが残ってるんだ。普段ソウルにいるもんだからほとんど感じることがなかった、儒教のなごり。
女たちが何日も前から準備しただけあって、ご先祖様15人分の食事を並べたサンは、立派なものだった。ソウルでは簡略化してやる家庭が多いらしいが、うちの田舎では毎年きっちりやっているそうだ。それからひっきりなしに客が新年の挨拶に訪れてきて、それはとても心温まる風習だと思ったが、女たちは、料理をかたずけては運び、座る暇もなく台所で働いていた。
「これがソルラル(正月)なのよ」と叔母はため息をついていた。「うちは一年に15回、祭祀をやってるの。女たちは本当に大変よ。やらない人間はこれのつらさがわからないでしょうね。でも、やめたいからって勝手にやめてもいいってもんじゃないのよ」
彼女たちは、ソルラルをちっとも楽しんではいなかった。ただひたすら、ソルラルを耐えていた。かといって、不満や怒りは感じられない。「やらなければならないもの」として受け入れていた。
でも…。正月って、、正月って、家族みんなでのんびり楽しく過ごすものじゃないの?
しかし、そんなことは言えるはずもなかった。これは、男尊女卑とかそういうレベルのものじゃないような気がした。もっと大きな「風習」「伝統」「先祖」といったものに、「家」が覆われているというか。それは、それを代々守ってきた本人たちにとっては、 まわりの人間が思うほど、簡単には破れないものなんだろう。
ただ私は、自分は、そんな風には生きていきたくないと思った。それによってがんじがらめになるような、そんな風習は、私は守っていかないだろう。良いものは守り継ぎ、良くないものは切り捨てる、クールな距離感も、新世代には必要なはず。伝統とは守っていくものであると同時に、長い目で見れば、その時代その時代、作っていくものだと思うから。少し、傲慢かな?ソウルに戻るバスに揺られながら、とりとめもなく考えにふけった。(編集部:mmkim)