みなさん、「韓国人はものをはっきりという」という固定観念をお持ちでないだろうか。
それが意外とそうでもないのである。
日本人が「〜だと思う」「〜って感じ」などという言い方を好むように、韓国人にも同じように断定を避けて話す傾向がある。
「오늘은 못가(今日は行けない)」じゃなくて、ほとんどの場合、「오늘은 못갈것 같애(今日は行けないみたい)」というように、ちょっとクッションを入れるのである。
ビジネス上でもそうだ。〜입니다(〜です)よりも、〜인것 같습니다(〜のようです、と思います)という話し方をよく聞く。一度、韓国人の上司が得意先と電話で話すのを聞いて、質問したことがある。
「明日までできるようです、じゃなくて明日までできます、とちゃんと言っほうがいいんじゃないですか?」
「いや、そういう風にいうものなんだよ」と返されたが、ううむ、全く日本語のようだ。
「失礼ですがお名前は何とおっしゃいますか」と電話で話していたら、注意を受けたこともある。そんなにはっきり言わずに「실례지만 전화주신 분이…?(失礼ですが、電話を下さった方が…?)」と言って語尾を濁した方がベターだというのだ。日本でも「失礼ですが…」とだけ言えばお決まりのように名前が返って来るように、それで通じるのだ。
意外と相手に気を使うデリケートなところがあるんだ(失礼)、などと思ったものだ。
日本人があいまいな日本語を愛しているように、韓国語のそんなところも愛すべき一面だ。
市場などで聞く荒々しくパワフルな韓国語も、ユニークな情の深い方言も、現代人の繊細な話し方も、それぞれに魅力がある。
日々頭の中で日本語と韓国語が行ったり来たりしている、あいまいな韓国の私はそんな風に思うのである。(編集部:mmkim)